TRIAL LESSON レッスンを体験しませんか
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ひさしぶりのドラム

 

明日はひさしぶりにスクールの企画で生徒さん同士のセッション会を行います。

参加者数に上限を設けるなど、まだ心おきなくとはいきませんが、ようやくまたこういったことができるようになり嬉しいかぎりです。

 

さて今回、歌、鍵盤、弦楽器、管楽器とパートバランスよくご参加いただけることとなったのですが…ドラムがいない!

ということで、私めが全曲ドラムを叩かせていただきます。

 

以前は師匠について真面目に練習していたドラムですが、ここ数年まともに叩いておりません。

にわかに先日からスクールの小さな3点セットを叩き始めたのですが…

 

…なんか…

上手くなってる??

 

凝ったパターンとかスティックワークは相変わらず下手ですけど、スネアの打点とかハットの粒立ちとか、以前よりもコントロールできてる気がする。

 

というか、おそらく感じ方や考え方が変わってきたのだと思います。

パターンどおりに手足を動かすことにやっきになるより、気持ちよく聴けるか、ノレるか、に意識が向いてきた。

これは普段から、そういう音楽の聴き方をしたり、他の楽器を触っていてもそういうことを気にしてるからじゃないかと思います。

やっぱり、必ずしも楽器に触れていなくても、普段からの意識の持ち方や音楽の聴き方だけでも、ある部分については向上していけるのでは?と思います。

そしてそういう部分こそが、むしろ大事だということもあるのでは?

なんて。

 

とにかく、また最近ドラムが楽しくて仕方ない、という話でした。

恥ずかしさと向き合う

 

「恥ずかしい」という気持ちは誰しにもあると思いますが、音楽をやる上ではこいつがけっこうな邪魔者です。

 

誰かに歌や演奏を聴いてもらったり、セッションやバンドに参加したり……ホントだったら「そうしたい」と思っても、そこで恥ずかしいという気持ちが勝ってしまうと尻込みしてしまいます。

 

上手くできなかったらどうしよう…。

まだ下手だから…。

 

と、どんどん消極的に考えちゃうんですよね。

私もその気持ち、よーく分かります。

 

この「恥ずかしさ」は、自尊心やプライドを傷つけられたくないという防御の気持ちとも言えるかもしれません。

 

 

その結果がどうであれ、誰かに聴いてもらったり、誰かと一緒に演奏したりすることは、多くの場合は大きな経験です。

 

積極的に誰かに聴いてもらったり、誰かと一緒に演奏したりすることができる人は上達も早いし、音楽の楽しさをより多く感じていけるように思います。

(もちろん音楽の楽しみ方はいろいろなので、必ずしも合奏したり誰かに聴いてもらわないとダメということはありません。)

 

 

手前味噌ですが私も過去に、自分の先生と一緒にバンドをやらせていただくなど、どう考えてもメンバー内で自分が一番下手っぴだという演奏を人に聴いてもらったりしたことは何度となくあります。

そうすると中にはとっても率直なダメ出しをもらうこともありますが、それを含めてとても貴重な経験だと思っています。

 

 

 

ところで先日、英会話レッスンの動画を見ていたら、こんなことを言っていました。

英語もやはり積極的にアウトプットして(話して)いくことが重要で、しかしながら多くの人は「恥ずかしさ」に負けてその機会を逃してしまうと。

 

英語の発音では日本語とは舌や唇の使い方が全然違うので、それを意識して発音すること自体に恥ずかしさがつきまといます。

もちろん流暢に話せているならば、感じることのない恥ずかしさでしょうけど。

 

それについてその先生曰く、自分が練習でアウトプットするときペルソナを作って恥ずかしさを上手いこと感じないようにしてきたそうです。

ここでいうペルソナとは「仮想の自分」みたいな意味で、「上手くいかなくてもそれは自分じゃない別の人格がやったこと」だとするんだそうです。

 

うーーん。

そんなに上手くセルフコントロールできるのかな~と思いつつも、とにかく「恥ずかしさ」と上手く付き合っていけるといいな、、、なんて思いながら見ていました。

 

やめるのは簡単

 

いや〜〜〜、

2週間ぶりくらいかな。

ブログの更新、むちゃくちゃ間が空いてしまいました…。

 

すみません。

 

 

 

…さて、今回の小休止で思ったこと。

それは「やめるのは簡単」ってことです。

 

まる3年続けてきたブログですがそんな積み上げもなんのその。

やめようと思ったら(もしくは意図せずとも)スパッとその時にやめられます。

なんの労力もいりません。

 

一方でやめたい物事ほど、なかなかやめられないということもあるかもしれませんね。

がんばって継続してきたことほど、いとも容易くプツッと終わりにしてしまうことができる、と。

 

 

一般的に、この「やめることの簡単さ」に対し、「始めること」そして「継続すること」と言ったら比べようもないほどに大変なのではないでしょうか。

 

歌でも楽器でも作曲でもなんでも、やっていると、なかなか上達せずにモヤモヤすることもあるかと思います。

でも、音楽を「始めたこと」と「続けていること」はとってもステキで尊いことだと思うのです。

腕前なんか関係なく、音楽を始めて続けているということだけで胸を張っていいと私は思います。

 

 

 

おそらくは他のことに時間やエネルギーを向けなければならないときもあるでしょうが、

どんなに細くでも音楽を続けてほしい。

 

ちょっと傲慢かもしれませんが、私がすべての生徒さんに対して願っていることです。

生徒さんがなんらかの事情でレッスンをおやめになるとき、「音楽はやめないで続けてくださいね」といつも言ってきました。

 

やめさえしなければ、いつかポンッと次のステージへ進める時がきっときます。

やめさえしなければ、音楽を通じて人の繋がりもできるでしょう。

やめさえしなければ、まだ味わったことのない楽しみにいずれ触れることができるでしょう。

 

 

 

私もこのブログ、これからも楽しみながら書いていきたいと心新たに思ったしだいです。

ひきつづきあたたかく見守っていただけますと幸いです。

 

ドレミで聴こえる

 

当スクールには現在、ソルフェージュのレッスンをご受講くださっている方が数名いらっしゃいます。

 

ソルフェージュというのは、音楽の基礎知識・基礎体力を養うためのトレーニングです。

 

主に、楽譜を読んで歌ったり(読譜)、音を聴きとったり(聴音)、音楽の基本的な仕組みを学んだり(楽典)、ということをしていきます。

 

 

ソルフェージュで養われる音楽の基礎的な能力を、私はざっくり一言で「音楽力」と言っています。

 

音楽力は、歌を歌うにしても、楽器を演奏するにしても、作曲や編曲をしたりするにも…何をするにしても重要です。

音楽力が高いことは大きなアドバンテージになります。

 

 

例えば、聴こえてきた音楽をドレミに置き換えていくことができたら、どんなメロディでも演奏できますよね。

そんな世界観、ステキじゃないですか?

 

 

大人の方でも、まったく経験のない方でも不可能じゃありませんよ!

ソルフェージュのトレーニングをしていくことで、少しずつドレミが聴こえるようになってきます!

 

 

ソルフェージュレッスンの受講生の方々は、みなさんご自宅でこつこつ自主練習されているので、このところメキメキ成長しています。

もう簡単なメロディならドレミに置き換えて聴くことができるようになって来ました。

私も自分のことのように嬉しいです♪

 

耳コピで気づくこと

 

もはやライフワークっぽくなってきた感もある耳コピ。

最近もスキマ時間でこつこつコード進行の耳コピをしています。

 

今日は60年代末の日本のヒット曲を。

 

 

この時代の曲に比べると、70年代以降の曲ってかなりコード進行ありきで作られている気がします。

逆に時代を遡るほど、コード進行という観点からは曲が考えられていない気がします。

 

そもそも1曲に使うコードの数も少ないうえに、ひたすら2つのコードを行ったり来たりしてみたり、同じコードがしばら〜く続くかと思いきや小節の途中でコードが変わって「そこ?」みたいに思ったり…。

 

耳コピと言っても、純粋に音を聴きとる力だけじゃなく、いわゆる音楽理論みたいなものも使って行っている私としては、裏切られたり勘ぐってしまったりするようなコード進行がけっこう多い。

 

 

曲を頭で作っている感じがしないんですよね。

歌詞の世界観や雰囲気を重視した曲作りと言いますか。

 

技巧的なコードワークも大好物ではあるのですが、そうじゃないところに重きを置いた曲も、これはこれで素敵ですよね〜。

 

 

こういう気づきがあったりするので、やっぱり耳コピはやめられません〜!