TRIAL LESSON レッスンを体験しませんか
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阿部薫で広がった世界(上手いか下手か)

 

音楽はじつにいろいろあります。

それだけに好みも人それぞれ。

一般的に「上手い」歌や演奏がいいものとされていますが、それだけが音楽の良し悪しを決めているわけではないと、私は思います。

 

音程が正確であること、ミスタッチやミストーンがなく正確であること、リズムにおいてもやはり正確であること、抑揚がついていること、高速なパッセージでこなせること…

そういったいわゆる上手い歌や演奏は、それだけで感動に値するものでしょう。

しかし、そういう歌や演奏以外は聴くに足らないものなのか。

 

…そんなことはないですよね?

 

私が「そう」思うようになったのは、少しづついろんな音楽に触れるようになってからのような気がします。

 

 

そんな中で私がとくに印象的だったのはサックスプレイヤーの阿部薫さんです。

阿部薫という人は1970年代にフリージャズおよびフリーインプロヴィゼーションのシーンで活躍した人物です。

もうその時点であまりポピュラリティーが無い音楽だということはお気づきかと思いますが、彼のCDを友人に聴かされたときの衝撃は忘れられません。

耳をつんざくアルトサックスの咆哮。

メロディらしいメロディはほとんどなく、高速で駆け抜ける音はもはや叫びです。

そして無の静寂。

それが交互に現れては消えていきます。

ジェットコースターさながらのスリル。

 

ちょうど私が20歳になる頃だったかな。もちろんその頃には「世の中にはいろんな音楽がある」と頭では分かっていましたが、実際に聴くと「それ」はやはりすんなりと受け入れられるようなものではありませんでした。

ところが、ひどい拒絶反応があったかと言うとそうでもなく、なぜだかそういう世界にもう少し触れてみたいという気にすらなったのです。

 

阿部薫さんの演奏は、先に挙げた上手い演奏の例にはあまり当てはまりません。

だからと言って下手かというとそんなふうにも思わない。

と言うか、上手い・下手で語るのは野暮、という類の音楽でしょう。

おそらく本人も彼の演奏を好んで聴くリスナーも、先に挙げたような「いわゆる上手さ」は求めていないように思います。

そしてその音楽は、初めて聴いた私の心を動かすエネルギーに満ち溢れていました。

 

 

さて今の私は、けっきょく、音程が正確であること、ミスタッチやミストーンがなく正確であること、リズムにおいてもやはり正確であること、抑揚がついていること…などが大事だと思っています。

やっぱりコントロール力は高い方がいいと。

 

でも以前と比べたら、だいぶ音楽の多様性を知りましたし、上手いか下手かだけで音楽を聴くことはほとんどなくなってきたように感じます。

自分としてはそれでいいんだと、今の時点では思っています。

 

 

歌や楽器演奏にともなう痛み?

 

先日、100万年ぶりにつき指をしてしまいました。

服を着る際に左手の小指を壁にぶつけて…。

さほど酷くはなかったのですが、しばらくはギターでコード押さえるのがなかなかに辛かったです。

 

さて、普段の生活で怪我に気をつけるのはもちろんですが、歌や楽器もムリをしたり変な姿勢で練習したりしていると身体を痛めてしまうことがあります。

私も過去に、トランペットの高音を出そうとして背中を痛めたことがあります。

 

しかし歌や楽器は、その人に合った正しいやり方で行えば、どこかが痛くなるということは基本的には「ない」と私は思っています。

逆に言えばどこかが痛くなるようなら、それはあなたとって良くないやり方なのかもしれません。

よく言われることですが、1人1人で体つきが違うわけですから、レッスン動画や教則本で「これが正しいやり方」と言っていても、合う合わないはあって当然だと思います。

まぁ一方で、多少の痛みを味わってそれを解消していくことが、上手くなっていく過程で多くの人が通ってきた道なのかもしれませんが。

 

ただ、あまり痛いのを我慢して続けるのはオススメできません。

そのせいでしばらく練習できなくなる可能性があるばかりでなく、もっと悲惨なことにもなりかねませんので。

 

また、歌や楽器を痛みを伴わず思いきり楽しむために、身体の方をチューニングしていくことも大事でしょう。

これは私もちゃんとやれているわけではないので偉そうなことは言えませんが、なるべくストレッチや運動をして、姿勢にも気をつけていきたいと思っています。

 

ピアノを調律していただきました

 

もう少し前のことになりますが、スクールのピアノを調律していただきました。

いつものことながら、調律直後のピアノの弾きごこちは最高です。

調律師のミツナミさん、お世話になっております。

 

ピアノにかぎらず、楽器のチューニングやメンテナンスは大事ですね。

これらをしっかりすることで練習の効果を上げ、愛用の楽器を長く快適に使うことができると思います。

 

 

まずチューニング

気にしない人は気にしないチューニング。

気にする人は気にするチューニング。

 

これはもちろん、気にした方がいいですね。

そのちょっとのひと手間で、練習の成果や楽しさがまったく変わってきます。

チューニングの狂った楽器で練習していても、なかなかハーモニー感が養われません。

これは私がそうでしたので。

 

 

そしてメンテナンス

なにしろ不精な私がこのことについて書くのは気が引けるのですが、自分への戒めもこめて。

 

「楽器なんて音が鳴ればなんだっていい」

尻の青い私がカッコつけて実際に言っていた言葉です。。。

 

そんなことを言っていても、先のピアノのようにしっかりメンテナンスしてもらった楽器は、明らかに演奏しやすく音もいい。それは疑いようのない事実だと、毎回思い知らされます。

やっぱりメンテナンスは大事です。

 

楽器によっては専門家に任せざるをえない、任せた方がいいものもありますが、自分でできる範囲のことはやっていきたいですね。

とくに日々のちょっとした手入れなんかは、なるべく習慣づけていかないといけませんね。

 

管楽器でコードトーンを吹く③

前回のつづきです。

前回は
「半音サークル」を利用してメジャー3rdのインターバルを割り出していく
ところまででした。

メジャー3rdはメジャーコードの要の音程でしたね。

今回はマイナーコードの要、マイナー3rdを割り出していきましょう。
● マイナー3rd(短3度)
マイナーコードがマイナーコードたりえるのは、ルートから「マイナー3rd(短3度)」というインターバル(音程)で音が積まれていることに起因します。

半音サークルを時計に見立てたとき、
マイナー3rdのインターバルは「ルートから3時間」になります。

3時間ということは、12時から3時ですね。
3時からなら6時だし、5時からなら8時、8時から11時、10時から1時ということになります。

これを「半音サークル」に当てはめてみると…

「ルートがCのときマイナー3rdはEb」

「ルートがC#のときマイナー3rdはE」

「ルートがDのときマイナー3rdはF」

「ルートがEbのときマイナー3rdはGb」

「ルートがEのときマイナー3rdはG」

となるわけです。

簡単ですよね。
時計を3時間進めるだけ!
※くり返しになりますけど、半音サークル、つまり半音の並びがちゃんと頭に入っていることは最低限必要なので、ここだけはがんばってください。

異名同音問題
前回の内容と重複しますが、異名同音について再度記載しておきます。

「#(シャープ)と♭(フラット)で2つ呼び名がある音についてはどちらで考えればいいの?」という疑問。
ひとまずは、「マイナー3rdの音は、ルートからABCのアルファベット順で3つ目になる」と考えてください。
例として「ルートがCのときマイナー3rdはEb」の場合…
ルートのCからC→D→Eとなりますので、D#ではなくEbと表現するわけです。(#/♭の付け忘れに注意!)
2つ目でも4つ目でもなく「3つ目」です。(だから「3rd」と言うわけです。)

もう1回だけつづきます。

定番コード進行①「丸の内サディスティック進行」

 

コードの移り変わり=コード進行には、いくつかの定番と言っていいパターンがあります。

 

そんな中で昨今「丸サ進行」と呼ばれているものがあります。

 

その昔「マルサの女」という映画がありましたが、もちろんまったく関係ありません。

椎名林檎さんの1999年のヒット曲「丸の内サディスティック」を略して「丸サ」と言っているんですね。

つまり、この曲で使われているコード進行が「丸サ進行」ということです。

 

近年ではYOASOBIの「夜に駆ける」などにも使われているこのコード進行。

私の周りでは「Just the two of us進行」と呼ばれていました。

 

「Just the two of us」はサックス奏者グローバー・ワシントン・Jrの1980年のヒット曲。

シンガーソングライターのビル・ウィザースがヴォーカルをとっていて、彼を含むチームで作曲をしたようです。

個人的には丸サよりもこっちに馴染みがありますが、「Just the two of us進行」ってちょっと長いですもんね、言うとき。

「丸サ進行」は言いやすい。

 

ちなみに、「Just the two of us」がこのコード進行のオリジンかというとそうでもなくて、それ以前にボビー・コールドウェル「What You Won’t Do for Love」(1978年)があったりします。

 

 

そんな感じでけっこう昔から使われているこのコード進行。

まあ、なんというか洒落た雰囲気になるわけですが、ポイントはメジャーキーの中心であるトニックコードが「出てこない」ところ。

 

キーがCだとすると、

||: FMaj7 | E7 | A-7 | G-7 C7 :||

この4小節をひたすらくり返すのですが、トニックコードのCもしくはCMaj7が出てこないんですね。

だから若干キーがつかみにくいかもしれません。

サブドミナント(ダイアトニックコードの4番目)のFMaj7から始まり、すぐに平行調のAマイナーに転調し、くり返すためにFMaj7へと向かうⅱ-Ⅴへと接続します。

1つ1つのコードもトライアド(三声の和音)ではこの雰囲気は出ませんで、7th系(四声の和音)である必要があります。

 

う〜〜ん、素晴らしい!

発明ですねこれは。

 

 

つい先日、耳コピしたMISIAさんの「つつみ込むように…」にも使われていたので、こんな記事を書いてみました。

 

しかしながら、コード進行が同じだからと言って同じ曲になるわけもなく、メロディ、歌詞、アレンジ、演奏によって、まったく違う曲になるわけです。

そこがまた音楽の、奥が深くも面白いところですね。