大人にリトミック?

 

前回からのつづき

 

ちなみに、手を叩くこと、踊ること、も歌うことと同じくらい好きであっていただけると、すごく良いです。

音楽を楽しむにあたって。

 

音楽と仲良くなりたかったら、一人部屋で音楽をかけて、一緒に歌って、手を叩いて、身体を動かしてみてください。

 

恥ずかしい?バカみたい?

できないですか?誰も見てなくても?

 

もしそういう方がいらっしゃったら、自分はよっぽど音楽を楽しみにくい性格なんだ、と思ってください。

やりたいことがサックスでも、ギターでも、ピアノでも、なんだったとしても、この部分ができないまま、わからないままでは、その先に待っているのは見た目だけの、ポーズだけの、表面だけの音楽だと思ってください。

 

「リトミック」という言葉を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。

一般的には幼児に向けた「身体を使って音楽の楽しさを感じる」ためのプログラムです。

 

私が常々、不思議に思っているのは、なぜリトミックは小さな子供しかやらないのか、ということです。

大人がやってはいけないんですかね?

 

もちろん、一般的な幼児向けのプログラムを大人がやるのは抵抗があると思いますが、その効果は大人にも、いや、むしろ大人にこそあるのではないでしょうか。

 

音楽に合わせて、たくさん身体を動かし、リズムに合わせて手拍子をし、大きな声で歌う。

音楽を始めようと思ったときの、カッコイイ、素敵なイメージとはかなりギャップがあるかもしれませんが、まず最初にこれを、恥ずかしがらずに、煩わしがらずに、やっていただきたいと思っています。

そうすることで、固い身体がほぐされ、発することや表現することのシンプルな喜びを感じられ、リズムの感覚、メロディの感覚、ハーモニーの感覚の礎が作られます。

 

逆に、それらがない状態で楽器の練習に入ってしまうと、楽譜通りに正確に運動しなければ、という硬い発想、思うように動かない固い身体、感じられないリズム、メロディ、ハーモニー……。楽しむ、からは程遠いです。

 

当スクールでは、すべてのコースにおいて大人のためのリトミックを含んだレッスンを実施していきます。

と若干の宣伝を挟んだところで、

 

つづく

 

写真は、スクールのバルコニーからの景色です。

「歌う」ということ

 

前回のつづき

 

「歌えるけど演奏できない」。

これを「歌えるなら演奏できる」ようにするのが当スクールのメソッドの一つですが、そのお話の前に「歌う」ということについても少し触れたいと思います。

 

みなさんは歌うこと、好きですか?

 

あんまり得意じゃない、っていうのは無しです。得意かどうかじゃなくて、好きかどうかです。

今までコラムで述べてきたことを思い出してくださいね。

上手に歌えなくたって良いんです。

人の目は気にしなくて良いんです。

人と比べなくて良いんです。

どうですか?

 

カラオケみたいなシチュエーションが苦手だという方はいらっしゃるでしょうが、誰かに聴かせるとかそういうのではなくて、お風呂で鼻歌を歌ったり、自転車に乗りながら、洗濯物を干しながら、掃除をしながら、いつでもどこでも、小さな声でも、歌詞が適当でも、多少調子っぱずれでも……

どうですか?

 

嫌いだという方は、おそらく、下手な歌を人に聴かれたくない、恥ずかしい、と思うからであって、根本的にはみなさん歌うことがお好きなんじゃないでしょうか。

というか好きであってください。

 

好きでないと話が進まないんです。

 

歌というのは、おそらくは、手拍子したり、手で何かを叩いてリズムを打ち出したり、または踊るという行為などと同じように、もっともプリミティブな音楽的行動です。

太古の昔から、人は、歌い、叩き、踊ってきました。

その多くは神様を祀るためだったりするでしょうが、何かを祝うなどの喜びの場や楽しい場でも、歌い、叩き、踊ってきたはずです。

 

つづく

 

写真は先日、30分だけ1人でカラオケに行ってきたときに撮りました。一緒にカラオケに行く友人がいないわけでも、写真を撮ってくれる人がいないわけでもありませんので心配無用です。

「記憶」と「視覚」

 

前回からのつづき

 

歌を唄うということに関しては必ずしも当てはまらないかもしれませんが、運動を記憶する、もしくは視覚情報を運動に置き換える、という演奏の仕方をしている方に多く見られる現象があります。

それは、一度できたと思った曲を、そののちに、いつでもどこでも再現できるかというと、なかなか難しくなってしまうということです。

 

運動を記憶するというのは、例えば電車に乗ったり、歯を磨いたり、携帯電話を使ったり、普段から頻繁に何度も何度もすることで、その記憶が定着します。

つまり、ある一曲を集中して繰り返し練習している間は良いのですが、終わりまでさらったところでいったんその曲から離れてしまうと、時間の経過とともに記憶が薄れていき、やがて思い出せなくなってしまうのです。

まあ、当たり前と言えば当たり前ですね。

 

また、視覚情報を運動に置き換えて演奏をしている、つまり視覚に頼って演奏をしている方は、当然、楽譜がないと演奏がままなりません。気ままにいろんな曲を演奏しようと思ったら、常に分厚い楽譜集を備えていなければなりません。(スマホやタブレットなど携帯に便利なものも普及していますが。)

 

誤解なきように言っておきますが、音楽をやるうえで、運動を記憶したり、視覚を頼りにすることは、多分にあることだと思います。

問題は、それだけに頼ってしまうということです。

 

では他に何に頼れるでしょうか。

 

どうですか?

 

やろうとしているのは音楽ですよ。

 

そうです。「音」です。

「耳」と言っても良いですね。

 

運動だけでなく、音を記憶します。

視覚だけでなく、聴覚に頼ります。

 

今現在、すでに楽器を嗜んでいる方のほぼ全員が、演奏できる曲の数より、歌える(口ずさめる)曲の数の方が圧倒的に多いはずです。

それは、何回も聴いた曲を、音で記憶しているからですよね。

運動ではとてもじゃないけど記憶しきれない量の情報を、音としては記憶しているのです。

 

まだ音楽を始めていない、これからだという方も、想像してみてくださいね。

 

つづく

「把握」と「運動」

 

前回のつづき

 

みなさんはどんな時に音楽との距離が近いと感じ、どんな時に遠いと感じますか?

あまり考えたことがないかもしれませんが、イメージしてみてください。

 

例えば、鳴っている音やリズムが聴き取れて把握することができ、さらに、コントロールして鳴らしたい音やリズムが奏でられた時に、音楽と自分との距離は近く感じられるような気がしませんか。

逆に、鳴っている音やリズムが把握できない、思ったとおりに音やリズムが奏でられないと、音楽との距離は遠く感じてしまうのではないでしょうか。

 

いろいろあると思います。そんなことはない、という、もしくはまた別の意見もあるでしょうが、いったん上記のように考えてみてください。

 

「鳴っている音やリズムが聴き取れて把握することができ、さらにコントロールして鳴らしたい音やリズムが奏でられる」。そうしたいときに、多くの人は、また多くの音楽教室でのレッスン、教則本、レッスン動画等では、どうやら発声や楽器の練習にたくさんの時間を費やそうと考えているようです。

つまり「コントロールして鳴らしたい音やリズムが奏でられる」ようになろう、ということですが。

 

私は、どちらかと言うと「鳴っている音やリズムが聴き取れて把握することができる」ようになることの方が大事だと思っています。

 

一生懸命に楽器の練習をしてすごく難しいフレーズが演奏できるようになったとして、やはり達成感はあるでしょうが、それは正確な素早い運動ができるようになったことの達成感であって、音楽との距離が縮まって、音楽と仲良くなったと言うのとはやや違うような気がします。

 

五線の楽譜やコード譜、タブ譜などを頼りに歌ったり演奏したりするのも、言ってしまえば、視覚から入ってくる指示情報どおりに運動するということになります。

それだけだとすれば、なんだか本来の音楽の素敵さが失われてしまっているように感じるのは私だけでしょうか。

 

つづく

だって好きなんでしょう?

 

前回からのつづき

 

さて、このコラムをここまで読んでいただきありがとうございます。

 

書いてる本人は、良いことを言っている、為になることを言っていると自負していますが、おそらくは「話がフワッとしてるんだよなー」「何?精神論?」「で、どーすりゃイイのよ?実際」と、煮え切らない思いでいる方も少なくないでしょう。

しかしながら、今までお話しした根本の部分を、ある程度踏まえていただく必要があったのです。

それほどまでに、今の日本で音楽を始める際に、ほとんど全ての人に刷り込まれている認識というのは、厄介だと思っています。

 

楽譜通りにミス無く身体を動かすことが音楽ではありません。

 

楽譜が読めない?音痴?不器用?

関係ありませんよ!まったくもって!

だって好きなんでしょう?やってみたいんでしょう?

 

絵を描きたかったら、描くだけですよ。上手く描けるかどうかなんて二の次三の次です。

料理がしたかったら、するだけですよ。美味しいものが作れるかどうかなんて二の次三の次です。

ダンスがしたかったら、踊るだけですよ。カッコよく踊れるかどうかなんて二の次三の次です。

 

そして、くどいようですがもう一度言っておきます。

 

上手さだけを求めていたら、ともすれば挫折してしまいますよ。

楽しさを感じていかなければ。

音楽は上手い人だけが楽しむものではありません。

どの段階でも、その段階ごとに楽しみはあります。

目標が高いことは良いことですが、今を楽しむことをしなければ練習も苦行になってしまいます。

どうやって楽しむか。

それには音楽を楽しむための力が必要です。

楽しむための力は、音楽と仲良くなることで身につきます。

 

次回から、いよいよ具体的なお話です。

 

つづく

音楽と恋人

 

前回からのつづき

 

例えば異性なら、背の高いイケメンとディナーしたい。

モデルさんのような美人と街を歩きたい。

そうして、周囲から羨望の目で見られたい。

そうして、自分の虚栄心を満たしたい。

もしくは、恋に恋した状態を楽しみたい。

 

そういう人付き合いじゃなく、ちゃんとその人に惹かれていたなら、もっと相手のことを知りたくなりますよね。

自分にも関心を持ってもらいたくなり、節点を増やして距離を縮めたいですよね。

 

もちろんきっかけは、イケメンだからでも、美人だからでも、それはけっこうだと思います。

でも、それだけではその関係は長くは続かないのではないでしょうか。

やはり、内面を知って、心が触れ合うような関係にならなくては。

 

音楽も同じだと思います。

 

テレビやコンサートで、アーティストやミュージシャンのカッコイイ歌や演奏を聴いて、「自分があんな演奏をしたら、周りの人はみんなびっくりするだろうな」と想像して、よし!と始めてみる。

それは素晴らしいきっかけだと思います。

 

そこから、音楽との距離を縮めていけると、「あぁ、この人にはこんな素敵な一面があったんだ」とか「この人のこういう部分に、自分は惹かれたんだろうな」とか、音楽に対してそんなふうに思えるかもしれません。

 

では、どうしたら音楽との距離を縮めて仲良くなっていけるのでしょうか。

 

つづく

音楽は奏でられたがっており、楽器は奏でたがっている

 

前回のつづき

 

ギターを弾こうとしたとき、多くの人は「よーし、今からこの弦を弾いてやるぞ!」と意気込んでバーンとやってしまうけれど、彼は、ピックが弦に触れた状態で、ずーっと30秒でも10分でも待つのだそうです。

弦を「はじく」のではなく、意気込みが完全になくなって、自然にピックが弦を「すり抜ける」まで。

 

私のこの文章で上手く伝えられているか自信がないですが、要は「楽器を制圧してやろうと意気込むのではなく、自分と楽器とが50/50の関係になって協調して音楽を奏でれば良い」といった旨だったと思います。

 

それを見て、この若さですごい境地まで達しているなー、と感心すると同時に、スッと腑に落ちたというか妙に納得させられたのを覚えています。

YouTubeで見つかると思うので、よかったら探してみてください。)

 

なかなか言うことを聞かない道具をどうにかコントロールするという意識は、ともすれば自ら楽器との距離を遠ざけてしまうことになるのかもしれません。

 

また、これはどこのどなたの言葉か失念しましたが、「世の中のありとあらゆる音楽は常に奏でられたがっており、楽器は常に奏でたがっている」といった話を聞いたときも、素敵だなぁ、そうかもしれないな、と思いました。

 

音楽や楽器をあまり難しいものだと考えずに、好きで始めるのでしょうから、より関心を持っていくと向こうからも近づいて来てくれるかもしれません。

 

そう考えると、人と人との関係にも近いようなところがありますね。

 

つづく

音楽と仲良くなる

 

前回からのつづき

 

前回、0100だという数字を「上手さ=テクニック」だと考えないようにと書きましたが、では、何と考えると良いでしょうか。

 

それは、どれだけ音楽と仲良くなれたかという度合いだと思ってください。

もちろん、そんなものは数値化できませんので、数字はメタファーであってここでは意味を持ちません。

 

01にして、12にして、23にして……。つまり、徐々に音楽を理解して距離を縮めて仲良くなっていく。そうしていくことに楽しみがあるのではないか、というお話です。

 

「音楽と仲良くなること」と「音楽を楽しむための力」。

ずいぶん遠回りをしましたが、なんだか、だいぶ近い話になってきました。

(このコラム、書き溜めせずに毎回場当たりで書いているので、話をうまく繋げるのが大変です。がんばります。)

 

そうです。「音楽と仲良くなること」が「音楽を楽しむための力」をつけることになるのです。

 

今、パッと思い出したことがあります。

これは音楽という広義なものではなく、楽器のコントロールにフォーカスしたお話ですが、Julian Lageというギタリストがワークショップで言っていたことが興味深かったので、ちょっとご紹介します。

Julianは、素晴らしいイメージとフィーリング、ニュアンスとダイナミクスで演奏する、新世代のプレイヤーですが、その彼がギターの弦を弾くことについてこんな話をしていました。

 

つづく

 

写真はまた、まったく関係なくてすみません。

どこのどなたの作かわかりませんが、笑いを通り越して感心しましたので。

(AliExpressという通販サイトから拝借しました)

「未来」は「今」の積み重ね

 

前回からのつづき

 

はっきり言って、この考え方をシフトしていかないと、所謂「挫折」する可能性は非常に高いと思います。

 

物事には往々にして段階があります。0100かではないのです。初心者のうちは自分が0で、出来ている人がみんな100に見えるかもしれませんが、そんなことはありません。

もちろん、辛抱強くがんばっていると、ある日突然、0から100になるわけでもありません。

(そして、この0100だという数字を「上手さ=テクニック」だと考えていると、また周囲の人の目が気になってきたりとロクなことがありません。)

 

繰り返しになりますが、音楽は、初心者のうちからどの段階でも楽しめるものなのです。

勘違いしないでくださいね!上手な人だけが楽しむものではないのですよ!ですよますよ!いくよくるよ!

 

はい。で、話をもとに戻しますと、「達成感」を求めずに11歩の歩みを楽しみましょうということですね。

 

どうですか?

「そんなまどろっこしいことやってられるか!」とか思っちゃいましたか?

そんなあなたは、羽生結弦選手の4回転ジャンプを見て、真似して「エイッ」てやって骨折です。

いや、しませんよね、真似。

スケート靴履いてリンクに立つところからですよね。

それで、ちょっとスーーッと前に進めたら、それだけでも楽しいじゃないですか。

どうですか?

 

「未来」は「今」の積み重ねです。今を楽しめないのなら、この先だって楽しくはならないと、私は思います。

 

つづく

今を楽しむ

 

前回からのつづき

 

さらに、音楽を始めるにあたって、最初からそれをひっくり返して達成感を求めようとすると「音楽を楽しむための力」を養うのが難しくなってしまうと、私は考えています。

 

決まった日程にライブで曲を披露して達成感を得ることが第一の目標であるとすれば、ほとんどの人は最短ルートで目標に向かいたがります。すると、その最短ルートを辿っている最中は(道程を)、楽しむことが度外視されてしまいます。

 

「音楽を楽しむための力をつける」ことをコンセプトとするfestina-lente music school

festina-lenteとはラテン語で「ゆっくり急げ」の意で、転じて「急がば回れ」です。

一見、回り道と思えるような道程にも、たくさん楽しみが転がっています。

 

また、音楽は、ある一定のレベルに達したら、そこで初めて楽しくなるものではなく、その段階ごとの楽しさがあるものです。

ぜひそこに目を向けていただきたいと思っています。足元の蟻や石ころや小さな花に関心を持つように。

 

あなたから見て「あんなふうに上手に演奏できたら楽しいだろうな」と思うような人も、長く長く続く道の途中であって、きっと、その人は、もっとずっと技術が拙かった頃から、今も、そしてこの先も、その道のりを楽しんでいることと思います。(立場に付随する責任等は別にして)

 

今を楽しみましょう。

 

音楽を始めようとしている、もしくは始めたばかりの方は、得てして「出来る人=楽しめる人」と「出来ない人=楽しめない人」といった二極分化に自分を当てはめ、「出来ている人は楽しそうだな」「あぁ、私は出来ないから楽しくもないんだ」「いつになったら出来るようになり、楽しくなるのだろうか」などと考えがちです。

 

つづく