たまたまなのですが、昨日、Netflixでミックステープを題材にした映画をたてつづけに観ました。
「ミックステープ:伝えられずにいたこと」と「ミックスド・バイ・エリー」という2タイトル。
あ、ミックステープっていうのは、カセットテープの普及(手軽に録音できるようになった)によって生まれた、制作者の意図によって既存の曲が選曲、編集されたオムニバスアルバムのようなものですね。
ごくプライベートなシーンからDJやアーティストのプロモーションまで、そのあり方は多岐にわたります。
簡単に映画の紹介をしておきますと…
「ミックステープ:伝えられずにいたこと」は、母を亡くした少女が母の残したカセットを再生しながら、自分のルーツや母の思いを探っていく物語です。
音楽が“言葉の代わり”になって、伝えられなかった気持ちを補っていく様子が印象的です。
一方、「ミックスド・バイ・エリー」は1980年代のナポリが舞台で、兄弟が違法コピーのカセットを作り、街中に広めてしまう実話ベースの映画です。
DIY精神と音楽への情熱が爆発する一方で、著作権の問題に直面する姿が描かれています。
この2つを観てあらめてミックステープという文化について考えました。
プライベートなミックステープ…。
50オーバーの方々ならきっとみなさん作りましたよね。
好きな曲を集めたマイベスト、ドライブ用、パーティー用…。
ただ曲を並べるだけではなく、選曲の順番を考え、カセットに録音し、曲名を手書きする。
その一つ一つの行為に想いが込められ、便利なプレイリストにはない「物質的な温度」がそこに宿っているのだと思います。
そのテープを誰かに渡す(贈る)という行為は、音楽を贈ること以上に「自分の時間や気持ちを込めて作ったものを手渡す」という文化だったのではないでしょうか。
そして、ミックステープという言葉はもうひとつ、DJが作る音楽作品を指しても使われます。
これは単なる曲の寄せ集めではなく、DJのセンスや技術をアピールする場になります。
選曲はもちろん、曲のつなぎ方や流れに、そのDJのスタイルが表れるわけです。
DJは当然たくさんの音楽を知っていて、所有しています。
DJのミックステープから新たなお気に入りの曲を見つける、ということがよくありました。
また、アーティストやレコード会社、レコード店も、DJが作るミックステープをプロモーションに活用していました。
新曲やレア音源を入れて街に広めることで宣伝になり、シーン全体を盛り上げる役割を果たしていたのです。
つまりミックステープは「私的な贈り物」であり「音楽シーンをアンダーグラウンドから広げるツール」でもありました。
共通するのは、既存の曲を使いながらも、そこに制作者の想いやスタンスを表現するのに最適な文化だったということです。
もちろん既存の曲を使うわけですから、著作権の問題は無視できません。
プライベートの範囲であれば問題ありませんが、それを売るとなると話は違ってきます。
「ミックスド・バイ・エリー」では、情熱とDIY精神が法律とぶつかる場面が描かれています。
でも、それも含めて「音楽をどう届けるか」という文化の試行錯誤だったのだと思います。
当時はカセットテープに録音して友人や好きな人に渡すのはよくあることでしたが、今の時代ではプレイリストがそれに相当するものではあります。
サブスク、やっぱり便利ですからね…。
でも、今またカセットテープが一部で人気を取り戻しているのも面白い。
インディーズのDIYシーンだけでなく、山下達郎さんのようなメジャーアーティストも新譜や再発盤をカセットテープでリリースしています。
ただのレトロ趣味ではなく、「手触りのあるメディア」として再評価されている印象的です。
カセットテープを手に取ると、ガチャガチャとケースを開けたり、ジャケットの紙の質感やデザインを楽しんだり、A面からB面への切り替え、巻き戻しの時間まで含めてすべて「その作品の音楽体験」になります。
その不便さが返って、音楽を大切する気持ちを育んでくれるような気さえします。
音楽を贈る文化は、形を変えながらも生き続けるでしょう。
カセットテープでも、プレイリストでも、DJのミックスでも、そこに込められるのは「誰かに届けたい」という気持ちです。
音楽はいつの時代も、人と人をつなぐために形を変えながら生きています。
そのことを、ミックステープという小さなツールがあらめて教えてくれたように思います。
自宅にはたくさんのカセットテープが眠っています。
中にはこっ恥ずかしいものも相当数あるはず…。
でも、近いうちにプレイヤーを買ってまた楽しみたい!と映画を観て思いました。