楽器をやっていると、気づかないうちに陥ってしまいやすい「罠」があります。
たとえば「複雑なことを高速で行いたいという気持ちになる」ということ、ありませんか?
もしくは複雑なことを高速で行っている人「こそ」上手な人だと思ってしまうこと、ありませんか?
確かに、複雑なことを高速で行っている人は上手いと言えるかもしれません。
そして複雑なことを高速で行いたいという気持ちになること自体は悪いことではありません。
「それしかない」「やるからにはそこを目指していかなくてはいけない」と思い込んでしまうことが「罠」なのです。
そうなってしまうとそれはもはや音楽ではなく「競技」になってしまいます。
もちろん音楽の楽しみ方は人それぞれでいいと思いますし、「競技的」な側面も面白いかもしれません。
でも、「それしかない」と思い込んでしまうことで窮屈さを感じたり、自信が持てずにいたり、なかなか楽しくなっていかなかったり…そういう方も少なくないんじゃないでしょうか。
さて、これは楽器をやっている人特有の罠で、歌を唄っている人にはあまり見られない傾向だと思っています。
だから私は楽器を演奏するにあたって「歌うこと」をすごく大事に考えています。
「歌心」と言ってもいいかな。
複雑なことを高速で行われていても、そこに歌心がなければいい演奏と感じないと、私は思います。
上手い下手という観点でなくても、歌うように楽器がコントロールできたら、きっと楽しいと思いませんか?
festina-lenteでは、楽器の演奏を「単なる運動にしない」ように、そして曲やフレーズを「歌うように演奏するには」ということに重きをおいています。