はい、今日もリズムのお話です。
今回は、良いリズムとはどういうものか、ちょっと考えてみたいと思います。
これはもちろん、人によっていろいろな考え方がありますので、あくまで私の考えということにはなりますが。
結論から言えば、「聴く人の多くが気持ちよく感じるリズム」が良いリズムだと私は思います。
趣味で歌ったり演奏したりする以上は、本人が楽しむことこそが重要です。人にとやかく言われる筋合いはありません。ですが、その本人もおそらく良いリズムで演奏したいはずです。しかし演奏している最中は、往々にして客観的に自分の演奏が聴けません。そこで、第三者の聴く人のしかも大多数が、という視点が良いんじゃないかと思うわけです。
で、その大多数が「気持ちよく感じる」のが良いリズムだと。
当然、気持ち悪いのは嫌ですよね。気持ちいい方が良い。
では、何をもってして気持ちいいとするのか、これはじつに難しい問題です。
ただ、今のところ私が思うのは、「機械のように正確なリズムが、必ずしも気持ちがいいわけではない」ということです。
打ち込みやDTMと言われるコンピューターを使って音楽を作る行為も、もはや完全に市民権を得てなんら珍しくなくなりました。自分では触れたことがない方も多いでしょうが、ちょっと想像してみてください。
こうしたコンピューターで音楽を作るとき、そのリズムを正確無比にすることはいとも容易いことです。DTMのソフトを立ち上げると方眼のマス目が表示され、そのマス目にポチポチと音を置いていくだけで、あとはコンピューターが正確に鳴らしてくれるわけです。
さて、こうやって打ち込まれた正確な(機械的な)リズムは、はたして気持ちがいいのでしょうか。これは個人の主観によるものなので一概には言えませんが、少なくとも私は気持ちがいいとは思いません。
ちょっと話がそれますが、あまりにも整った規則的なものというのは、ある種の気持ち悪さがあります。
オーケストラの演奏や、シンクロナイズドスイミング、マーチングの行進……。これらはいずれも数人~大勢が一糸乱れぬ演奏や動きをするところに感動があります。しかしながら、やはりそこは1人1人違う人間が集まってやること。どうしたってごくごくわずかなズレは生じます。あれらはある意味、完全な一致は不可能だという前提のもと、極限まで完全な一致に迫る行為であって、正確にはそこに感動が生まれるのだと思います。
で、本当の意味で整った規則的なもの、その連続ともなれば、有機的な要素が入り込む余地など一切なく、気持ちがいいというのとはむしろ逆ベクトルである可能性があります。
話を元に戻しましょう……。
て、わわわわ。なんか長くなってきてしまいました。
つづきます。すみません。