【レコーディング】ピッチ補正③

 

ピッチ補正とはどんなものなのか、その歴史やソフト/アプリケーションなどをご紹介してきました。

 

ピッチ補正がすごい技術であることには疑いの余地がありませんが、

はたしてピッチ補正を施すことは良きことなのでしょうか。それとも悪しきこと?

 

 

このことは「Auto-Tune」の登場以来、頻繁に議論されてきました。

とは言え、当然のことながら立場によってまったく考え方が異なりますので、言ってしまえば不毛な議論だということもしばしばあるでしょう。

当人が良しとするならばバンバン使えばいいし、悪しとするならば使わなければいい。

 

それだけです。

 

が、それでは話が終わってしまうので、肯定派・否定派そのぞれの意見をまとめてみましょう。

そうしてメリット・デメリットを踏まえたうえで使うか使わないか、またどう使うかを判断していただけたら、この記事の意味も多少はあるのでは。

 

 

 

まず肯定派の意見としては、おそらく「力量不足を隠せる」ということに尽きるでしょう。

今や録音物はみな、音程がバッチリ!

本来、音程とはなるべくなら正確であった方が良い場合がほとんどですから、この見地から言えばもうピッチ補正様様(さまさま)です。

 

 

そして「レコーディングに時間をかけないで済む」というのも肯定派の意見。

シンガー・ミュージシャンを拘束する時間やスタジオを借りる時間を、場合によっては大幅に削減できます。

これは費用の削減にもつながります。

歌や演奏に決定的な間違いがなければ、ほんの数テイク録して後はピッチ補正を含む編集でどうにか…というわけです。

 

 

ところで、レコーディングにおいて、完璧を求めて何テイクも重ねていくうちに、「ハマる」ということは珍しくありません。

テイクを重ねるにつれ疲れて集中力がなくなりミスが目立つように、また新鮮味も薄れていきます。

そこで聴き返してみると意外と1テイク目が良かった、なんてこともままあります。

レコーディングは、時間をかければかけるほど良いかというとけっしてそんなことはなく、むしろ集中して短時間で録った方が良い場合が多いのです。

 

 

あと、肯定派の意見の中でも意外と見落としがちなのが「アンサンブルの調和」です。

ホンキートンクなピアノやチューニングの安定しないギター、フレットレスのウッドベースといった楽器のアンサンブルならいざ知らず、昨今のポピュラーミュージックにはコンピューターで鳴らしたサウンドが多用されています。

そういった音は基本的には機械的にチューニングされた狂いのない音程で鳴っています。

アンサンブルの中でそういった音の割合が多くなってくると、有機的で音程が不確定な音は他と馴染まず浮いてしまうんですね。

上手に歌われていたとしてもピッチ補正を施した方がよりオケに馴染む、ということがあります。

 

 

 

否定派の意見としては、とにかく「嘘モンになってしまうことへの懸念・嫌悪」があります。

「詐欺だろ」ってわけですね。

 

まぁ実際、「音源を聴き込んだあとライブに行ったら、音程の甘さにがっかりした」なんてのはよく聞く話です。

ただ、これについては「誰得?」っていう気もします。

ライブで聴いてもらうことが前提であれば、音源で過度にピッチ補正することはアーティストもお客さんも得しないんじゃないかな。

 

 

他には、ピッチ補正に頼って「歌手や奏者が成長しない」という話も聞きます。

往々にして歌手や奏者が「どうせピッチ補正するのだから…」というマインドでレコーディングにのぞむことになってしまう。

ピッチ補正することが前提であれば、集中力を発揮し、シビアに音程をコントロールするということが必要なくなってしまいますからね…。

結果として、先ほどの「ライブでがっかりパターン」になってしまうこともあるでしょう。

 

 

 

それぞれの主だった意見はこんなところでしょうか。

 

みなさんはどうお考えになりますか?

 

先に申し上げたとおり、見地によってまったく考え方は異なりますよね。

 

 

私自身は肯定派の意見にも否定派の意見にも頷けるところはあります。

 

ピッチを補正するということは元のデータを歪めることになるので、ナチュラルでなくなってしまうことは確かですが、聴感上ナチュラルであれば、作品としての完成度を求めてピッチ補正を施すのもアリだと私は思っています。

ともあれ、ピッチ補正を前提とするよりも

「補正なしで人に聴かせられるものを」という意気込みで録音に望みたいものです。

 

 

しかしながら、ピッチ補正が無かった時代のレコードやCDを聴くと、その歌唱や演奏の素晴らしさに感服いたします。

素晴らしい歌唱の一方では、やや拙い歌唱もそのままに音源になっているのですが、それはそれで良かったのかもしれません。

今や猫も杓子もピッチ補正で、面白くないと言えば面白くないかもしれませんね。

 

 

また、音程にばかり意識が向かうことは必ずしも良いことではない気がします。

 

音程が正確でもそれだけでは魅力的な音楽に足りえませんし、音程がちょっとズレただけでその音楽すべてがダメになってしまうかと言えばそんなことはないのでは。

音程の正確さだけで音楽の良し悪しを判断するようになってはつまらない…と感じています。

 

 

あ、ピッチ補正を過剰にかけてエフェクティブに使うことについては、結構なことだと思います。